ある船頭の話 ロゴ

PRODUCTION NOTE

  • 10年前に海外での経験を基に脚本執筆

    オダギリ監督が『ある船頭の話』を構想したのは10年前。中国、モンゴル、ブラジルの農村部やスラムでたくましく生きる人々の姿にインスパイアされ、脚本を執筆した。「便利なものが増えていく一方で、消えていくものがある。我々はその美しさや大切な何かを簡単に手放してしまうが、それらは二度と戻ってこない。お金や時間が支配するこの社会で本当の幸せを見失ってはいないだろうか…、その時に感じていた気分や感覚を投影しています」とオダギリ監督は語る。さらに熊本県・球磨川(くまがわ)流域で日本で唯一と言われた(観光のためではなく、生活に密着した)船頭の存在を知り、数週間生活を共にしながら取材を重ねていた。しかし、当時は「今、自身で監督すべき作品ではない」と封印した。

  • クリストファー・ドイルとの運命的な出会い

    それを解くきっかけとなったのは、香港映画の巨匠撮影監督クリストファー・ドイルとの出会いだった。オダギリ監督はドイル、パートナーのジェニー・シュンが共同でメガホンを取った『宵闇真珠』に主演。撮影の合間に「お前は監督しないのか? お前が監督するときは俺がカメラやるから、何でも言ってくれ」との言葉をかけられた。「クリスがカメラだったら、監督するのも面白いなと直感的に感じたんです。日本に帰って書き溜めていた台本を書き直してメールで送ったら、即やる、と返事が来ました」と振り返る。「元々、脚本を書いていた時から、日本人ではない撮影監督にお願いしたいと思っていました。我々日本人は、日本の原風景に慣れ過ぎていて、日本の美しさを撮りこぼしてしまう気がして。海外の撮影監督に、真の日本の美しさを捉えて貰いたいと思っていました」。

  • 監督自らロケハン

    オダギリ監督は2017年2月、『ぼくたちの家族』『聖の青春』などを手がけたプロデューサー、永井拓郎氏にコンタクトを取り、製作に向けて本格化させた。さらに脚本をブラッシュアップし、5月に完成。2018年7、8月と2019年1月の撮影を目指す中、2017年夏に延べ1週間をかけて、ロケハン。永井プロデューサーは語る。「新潟、山形、福島、宮城、岩手……。監督のスケジュールの合間に、車で一緒にめぐりました。監督はすべての候補地を漏らさず見ています。雪が積もっているところをもう一度見てみようということになり、2018年1月にロケハンしました。その時はクリスも参加してくれましたが、それでも決めきれませんでした」。

  • ドイルの“予言”
    「ジョーは一番ハードなロケ地を選ぶ」

    2018年4月、ロケ地は2つの最終候補から新潟県東部にある阿賀野川に決定。「山深い場所で、猛々しい岩場、対岸には緑があったこと、そして夕日の美しさが決め手になりました。ただ撮影の条件としては一番悪かったんです。歩くのも大変な岩場でしたから、カメラポジションひとつ変えるのも一苦労です。クリスは『大変な撮影になるけど、ジョーは一番ハードな場所に決めるに違いない』と言い残して帰っていきましたが、その通りになりました」(永井)。

  • 日本映画界を代表する俳優陣が集結

    2017年6〜7月にかけてキャスティングを実施。オダギリ監督が主演に名前を挙げたのは柄本明だった。『東京タワー〜オカンとボクと、時々、オトン〜』(07)、『スクラップ・ヘブン』『PresentFor You』(15)での共演はあるが、親しいわけではなかった。「仲良しグループで楽しく撮影するつもりはなかったので、一番甘えのきかなそうな方とやりたいと思っていました。柄本さんは俳優としてもクセが強いし、中途半端に言い包められる人ではありません。自分が監督として本気で向き合わないと成立させてくれないのは柄本さんかなと思ったんです」(オダギリ監督)。その後、村上虹郎、伊原剛志、浅野忠信、村上淳、蒼井優、笹野高史、草笛光子、細野晴臣、永瀬正敏、橋爪功らの出演が決定。物語のカギを握る少女役には100 人以上のオーディションから新人の川島鈴遥を選んだ。

  • 中国映画での縁がつながったワダエミ

    スタッフも、そうそうたる国際派が結集した。オダギリが2011年の中国映画『ウォーリアー&ウルフ』(ティエン・チュアンチュアン監督)に出演した際、衣装を担当したのが『乱』(85)で米アカデミー賞®を受賞した世界的なデザイナー、ワダエミだ。そのワダが作品に興味を持っていることを伝え知り、オダギリ監督がコンタクトを取った。映画の世界観を伝える中、ワダは明治・大正風で、かつ無国籍にも見えるイマジネーションあふれる衣装をデザインした。

  • ティグラン・ハマシアンとはスカイプ会議

    音楽は、アルメニア出身の世界的なジャズ・ピアニスト、ティグラン・ハマシアン。オダギリ監督が脚本を改稿しながら、聴いていたのはハマシアンの楽曲だった。オダギリ監督のオファーを受け、脚本を読んだハマシアンは深い感銘を受け、快諾。すぐにデモ曲を作る力の入れようだった。夏編のクランクアップ後から、スカイプ会議を重ね、11曲を作曲。レコーディングはオダギリ監督が立ち会う中、2019年2月にロサンゼルスで行った。

  • 猛暑の新潟・阿賀ロケ。
    最大の苦労は舟の“遠隔操作”

    2018年7月21日、新潟・阿賀野川流域でクランクイン。ロケ地は歩きにくい岩場、さらには真夏の太陽が容赦なく照りつけ、木陰もほとんどない。さらには困難を極めたのは舟の操作だった。「実際は渡し舟ができるような川ではないんです。川幅は約70m、流れは速く、深さは12mある。それに水の量、流れも日々変わります。舟の仕掛けには苦労しました。撮影の1か月前になって、3点支点の人力による仕掛けがうまくいくことが分かりました。演出部だけでなく、手の空いているスタッフ総出で引っ張っていました」(永井)。万が一に備えて、救護班、予備の舟、ジェットスキーも待機した。夏編は8月29日まで約35日間に及んだ。

  • オダギリ監督の演出術

    撮影は通常、早朝から日没までというハードスケジュール。オダギリ監督は心労もあったのか、20近い口内炎に悩まされた。オダギリ監督の演出術について、永井が言う。「本業の監督だったら、なかなか言いにくいようなこともおっしゃります。心情、動き方、台詞の間など指示が具体的で、誘導するのが上手。柄本さんにはあまり言わなかったのですが、源三役の村上虹郎さんや少女役の川島鈴遥さんには細かく演出していました」。

  • 猛暑の夏編から一転、
    極寒の霧幻峡でクランクアップ

    冬編は2019年1月7〜11日まで新潟・阿賀野川と福島・只見川で撮影。35度以上の猛暑の夏編ロケとは打って変わって、冬編は氷点下での極寒だった。クランクアップは福島・奥会津にある霧幻峡(むげんきょう)。トイチが雪の降る渓谷の川を延々と舟を漕ぐラストシーンだった。柄本は「きつかったですね。でも、夏編の方が大変だった。最後まで怪我なく終わって、良かった」とホッとした表情。キャリア豊富なドイルも「人生の中で最もハードな撮影だった」と語っていた。

オダギリ監督が『ある船頭の話』を構想したのは10年前。中国、モンゴル、ブラジルの農村部やスラムでたくましく生きる人々の姿にインスパイアされ、脚本を執筆した。「便利なものが増えていく一方で、消えていくものがある。我々はその美しさや大切な何かを簡単に手放してしまうが、それらは二度と戻ってこない。お金や時間が支配するこの社会で本当の幸せを見失ってはいないだろうか…、その時に感じていた気分や感覚を投影しています」とオダギリ監督は語る。さらに熊本県・球磨川(くまがわ)流域で日本で唯一と言われた(観光のためではなく、生活に密着した)船頭の存在を知り、数週間生活を共にしながら取材を重ねていた。しかし、当時は「今、自身で監督すべき作品ではない」と封印した。

それを解くきっかけとなったのは、香港映画の巨匠撮影監督クリストファー・ドイルとの出会いだった。オダギリ監督はドイル、パートナーのジェニー・シュンが共同でメガホンを取った『宵闇真珠』に主演。撮影の合間に「お前は監督しないのか? お前が監督するときは俺がカメラやるから、何でも言ってくれ」との言葉をかけられた。「クリスがカメラだったら、監督するのも面白いなと直感的に感じたんです。日本に帰って書き溜めていた台本を書き直してメールで送ったら、即やる、と返事が来ました」と振り返る。「元々、脚本を書いていた時から、日本人ではない撮影監督にお願いしたいと思っていました。我々日本人は、日本の原風景に慣れ過ぎていて、日本の美しさを撮りこぼしてしまう気がして。海外の撮影監督に、真の日本の美しさを捉えて貰いたいと思っていました」。

オダギリ監督は2017年2月、『ぼくたちの家族』『聖の青春』などを手がけたプロデューサー、永井拓郎氏にコンタクトを取り、製作に向けて本格化させた。さらに脚本をブラッシュアップし、5月に完成。2018年7、8月と2019年1月の撮影を目指す中、2017年夏に延べ1週間をかけて、ロケハン。永井プロデューサーは語る。「新潟、山形、福島、宮城、岩手……。監督のスケジュールの合間に、車で一緒にめぐりました。監督はすべての候補地を漏らさず見ています。雪が積もっているところをもう一度見てみようということになり、2018年1月にロケハンしました。その時はクリスも参加してくれましたが、それでも決めきれませんでした」。

2018年4月、ロケ地は2つの最終候補から新潟県東部にある阿賀野川に決定。「山深い場所で、猛々しい岩場、対岸には緑があったこと、そして夕日の美しさが決め手になりました。ただ撮影の条件としては一番悪かったんです。歩くのも大変な岩場でしたから、カメラポジションひとつ変えるのも一苦労です。クリスは『大変な撮影になるけど、ジョーは一番ハードな場所に決めるに違いない』と言い残して帰っていきましたが、その通りになりました」(永井)。

2017年6〜7月にかけてキャスティングを実施。オダギリ監督が主演に名前を挙げたのは柄本明だった。『東京タワー〜オカンとボクと、時々、オトン〜』(07)、『スクラップ・ヘブン』『PresentFor You』(15)での共演はあるが、親しいわけではなかった。「仲良しグループで楽しく撮影するつもりはなかったので、一番甘えのきかなそうな方とやりたいと思っていました。柄本さんは俳優としてもクセが強いし、中途半端に言い包められる人ではありません。自分が監督として本気で向き合わないと成立させてくれないのは柄本さんかなと思ったんです」(オダギリ監督)。その後、村上虹郎、伊原剛志、浅野忠信、村上淳、蒼井優、笹野高史、草笛光子、細野晴臣、永瀬正敏、橋爪功らの出演が決定。物語のカギを握る少女役には100 人以上のオーディションから新人の川島鈴遥を選んだ。

スタッフも、そうそうたる国際派が結集した。オダギリが2011年の中国映画『ウォーリアー&ウルフ』(ティエン・チュアンチュアン監督)に出演した際、衣装を担当したのが『乱』(85)で米アカデミー賞®を受賞した世界的なデザイナー、ワダエミだ。そのワダが作品に興味を持っていることを伝え知り、オダギリ監督がコンタクトを取った。映画の世界観を伝える中、ワダは明治・大正風で、かつ無国籍にも見えるイマジネーションあふれる衣装をデザインした。

音楽は、アルメニア出身の世界的なジャズ・ピアニスト、ティグラン・ハマシアン。オダギリ監督が脚本を改稿しながら、聴いていたのはハマシアンの楽曲だった。オダギリ監督のオファーを受け、脚本を読んだハマシアンは深い感銘を受け、快諾。すぐにデモ曲を作る力の入れようだった。夏編のクランクアップ後から、スカイプ会議を重ね、11曲を作曲。レコーディングはオダギリ監督が立ち会う中、2019年2月にロサンゼルスで行った。

2018年7月21日、新潟・阿賀野川流域でクランクイン。ロケ地は歩きにくい岩場、さらには真夏の太陽が容赦なく照りつけ、木陰もほとんどない。さらには困難を極めたのは舟の操作だった。「実際は渡し舟ができるような川ではないんです。川幅は約70m、流れは速く、深さは12mある。それに水の量、流れも日々変わります。舟の仕掛けには苦労しました。撮影の1か月前になって、3点支点の人力による仕掛けがうまくいくことが分かりました。演出部だけでなく、手の空いているスタッフ総出で引っ張っていました」(永井)。万が一に備えて、救護班、予備の舟、ジェットスキーも待機した。夏編は8月29日まで約35日間に及んだ。

撮影は通常、早朝から日没までというハードスケジュール。オダギリ監督は心労もあったのか、20近い口内炎に悩まされた。オダギリ監督の演出術について、永井が言う。「本業の監督だったら、なかなか言いにくいようなこともおっしゃります。心情、動き方、台詞の間など指示が具体的で、誘導するのが上手。柄本さんにはあまり言わなかったのですが、源三役の村上虹郎さんや少女役の川島鈴遥さんには細かく演出していました」。

冬編は2019年1月7〜11日まで新潟・阿賀野川と福島・只見川で撮影。35度以上の猛暑の夏編ロケとは打って変わって、冬編は氷点下での極寒だった。クランクアップは福島・奥会津にある霧幻峡(むげんきょう)。トイチが雪の降る渓谷の川を延々と舟を漕ぐラストシーンだった。柄本は「きつかったですね。でも、夏編の方が大変だった。最後まで怪我なく終わって、良かった」とホッとした表情。キャリア豊富なドイルも「人生の中で最もハードな撮影だった」と語っていた。

(永井プロデューサー:2019/2/20東京)
インタビュー・文:平辻哲也

撮影期間:40日間(2018/7/21~8/29、2019/1/7~11)
ロケ地:新潟県東蒲原郡阿賀町、新潟県阿賀野川流域、福島県只見川流域